I wrote down my thoughts about current media coverage of this problem in both Japanese and English.
個人的に気になる点がいくつもあるので書き残しておきます。日本語は後半にあります。 If you are interested in original Japanese expression, please use DeepL Translator.
- The use of “second generation” in media
- Some radical measure proposals under the name of protecting children
- The media coverage
The use of “second generation” in media
I think the word “second generation” used in Japanese media includes too many groups. Based on my observation, the current use of “second generation” implies negative nuance. However, as long as I know, several “second generation” are living happily. I don’t try to justify child abuse, but I will not say being “second generation” is unfortunate unless they complain or feel dissatisfied. Imposing to “know” something “in general” sounds similar to teaching only one religious belief as “Truth.” I haven’t come up with alternatives for the words “second generation,” but it needs more attention to nurture understanding of this problem in Japanese society.
Some radical measure proposals under the name of protecting children
I think my freedom of thought and freedom of religion was violated as a “second generation” of Jehovah’s Witnesses. Thus, I appreciate the guideline from MHLW and hope it is enforced in Japan effectively. However, there are some movements from several groups (whether political or not) with more strict guidelines, including intervention in the family. As an individual who believes violated my freedom of thought previously, I strongly support freedom of thought. Because of that, I cannot accept the authority intervening in the family, which consists of the smallest unit in the democratic society. Maybe it sounds conservative, and I still struggle with wrapping up my thought in regard to this problem.
The media coverage
At least for Jehovah’s Witnesses, an eschatological group, the ongoing situation might look like proof of the near-end days in their dogma. Although I have spent about four years without faith, I am sometimes scared because of what’s happening. For active Jehovah’s Witnesses, I cannot imagine how they are feeling now.
And current media seems to be consuming the problem for their profit. I worried this problem would be forgotten as other important topics in Japan.
それぞれについて。
「宗教二世」問題という呼称
宗教二世という呼称は、あまりに多くの集団を含みすぎているのではないか。僕が知っている限りで、エホバの証人に残り幸せを享受している二世・三世の方々はそれなりにいる。もちろんそこに虐待がないかと言われればそうは言い切れない。しかし本人が幸せであるなら、本人を「保護」するのではなく虐待的な育児から離れるよう親を動かす指導・説得なのではないか?野球部でパワハラや暴力があったから野球部を辞めさせましょう、本人は辞めたくないと言っているけど関係ありませんという親がいたら僕は流石に強引だと止める。そこでなければ幸せになれないかもしれない。少なくとも僕は、成長して広い世界を知るにつれて不幸になっていったと思っている。知らないでいることが幸せかもしれない。「知ること」を押し付けるのは、今叩かれている宗教の押し付けと大して変わらないのではないか。(「知ること」は一般常識や日本の社会体制、現代科学への信頼などをざっくり表現したくて使ってます)この上で、宗教二世/二世信者=被害者のようにラベリングしている現在の報道にはあまり良い感情を抱いていない。だからと言って代わりになんと呼べばいいかと言われれば分からない。ただ、僕は違和感を覚えている。
信教の自由、思想の自由を無視した対策の提言
この点はどれだけ考えても答えが出ないので触れないでおこうとも思ったが、現在の自分の考えを書き留めておく。僕はエホバの証人の二世として育ち、信教の自由を侵害されたと考えている。だが、宗教を子どもから取り上げようとか「宗教の信仰等に関係する児童虐待等」のガイドラインで規定されている行為を超えて宗教活動に子どもが関わっていたら児相に通告しようと言った考えには反対する。僕はこの社会も一種の宗教のようなものに従って動いていると理解している。法律を破ると罰がある、科学はだいたい正しい(←コロナ絡みでだいぶ怪しくなったけど)、みたいな。それを信仰している人が多数派だから今の社会は回ってて、少数派の宗教が問題になるのも多数派から外れすぎているから。虐待だって、それを規定する考えや言葉が多数派に受け入れられなければ存在しないはずだ。ついでに、信教の自由を侵害されたと思い込んでいる人間として、信教の自由と思想の自由は守られなければならないと強く信じている。国家権力がこの領域、とくに家族に踏み込むことは絶対にだめだと信じている。さらに僕の考えだが、日本という国がそこに踏み込んだらいいことが起きないと思っている。もう少し日本を信頼していたら、フランスのホームスクール禁止レベルの介入はしてもいいと言っていただろう。まぁ、個人の考えです。
宗教弾圧とも取れる報道のあり方
この点が一番の懸念だ。少なくともエホバの証人にとって。彼らの教義は終末論的だが、その流れをざっくり説明するとこう。今は終わりの日で、もうすぐ終わりが来る。終わりが来る前に、世界中を天災が襲い、エホバの証人以外の宗教がありとあらゆる国家権力によって弾圧され、「平和だ、安全だ」と宣言がある。その後エホバの証人が弾圧され始めたらキリストが臨在し地上を楽園にしていく。今の流れは、ちょうど宗教弾圧のところに見えるのだ。異常気象、戦争、宗教弾圧。ここまではっきり終わりの日のしるしが見えたら信仰を捨てたはずの僕でさえ怖くなる。それは置いておいても、日本社会における宗教のイメージが悪くなってしまうことを危惧している。僕は、宗教は必要だと強く信じている。信仰を求めて彷徨っていた頃、ある正教会の信仰者の方が僕におっしゃった「年老いて必要を感じたら来ればいい」という言葉の通りだ。共同体としての宗教は、今の日本にこそ必要なのかもしれないとさえ考えている。宗教は悪ではない。宗教だから距離を置く、霊的なものを遠ざける。そんなものは対策でも何もない、問題の先送りだろう。さらに、現在の報道はこの問題を消費しているように感じる。結局モリカケや今まで忘れ去られてきた問題のように、消えていくのではないか。
ざっくり書き殴っただけなので、細かい表現とか多少の読みにくさは見逃してください。今後も時間があるときに見直すつもりです。(最終更新: 2023/2/5)